戦後70年平頂山事件を通じて日中の歴史和解を考える 【弁護士 大江 京子】

 平頂山事件とは、1932年9月16日、中国東北部撫順市近郊の平頂山地区において、旧日本軍(独立守備隊第2大隊第2中隊)が、『匪賊』の通過を知りながら通報しないのは平頂山住民が匪賊に通じているからだとして、報復のために無抵抗の住民3000名余りを虐殺した事件です。平頂山事件の幸生存者である故莫徳勝、故楊宝山、故方素栄の3名は、1996年8月14日、日本政府を被告とする損害賠償請求訴訟を提起しましたが、判決は、平頂山事件の被害と加害事実を認定したものの、損害賠償請求については棄却し、2006年5月16日、最高裁で敗訴が確定しています。

 裁判は終わりましたが、10年間の闘いは、被害者側と加害者側の対話と心の交流を育み、二度と平頂山事件の悲劇を繰り返さないための日中両国市民の平和を願う共同の活動が、現在も活発に続けられています。私たちは、この両国市民の実践こそが、両国政府を動かし、日本と中国の歴史和解へと、そして両国の平和と安定へと導く力であると考えています。

 

 ヨーロッパ統合の試みは、「2度と私たちの間で戦争を起こさない。これが20世紀に起きた2つの世界大戦から私たちヨーロッパ人が学んだ主な教訓であり、欧州統合のプロジェクトの指針だった」(2004年EU代表部のベルンハルド大使)にみられるとおり、歴史認識の共有を抜きに語れません。有名なヴェルダンでのミッテラン仏大統領とコール独首相の共同声明~「我々は2つの大戦で命を落としたフランスとドイツの息子たちの前で和解をするためにここにいる。両国は歴史から、和解と相互理解と友情を学んだ。両国民は平和、理性、そして友好関係の道から後戻りはしない。」は、ヨーロッパの共通の歴史認識と安全保障の柱となっています。 

 世界の安全保障の潮流は、「敵となる(敵を作る)」のではなく「友人となる」ということ、隣国同士の信頼関係を強化しお互いの安全保障を図るという考え方です。筆舌に尽くしがたい非人道的な被害を与えた隣国の人々たちと友人となるためには、まず、加害国が過去の不法を不法と認めて謝罪し、国民一人一人がこれを心に刻み、記憶することが不可欠の前提なのです。

 

 私たちは、一昨年と昨年、ヨーロッパでの住民虐殺の地を訪ねて、平頂山事件の被害者の日本政府に対する要求事項が、欧州諸国の歩んでいる歴史和解の道のりにも通じる普遍的な要求であることを改めて知ることができました。

 今、日本政府は、中国朝鮮をはじめとするアジア諸国と過去の侵略戦争についての歴史認識を共通にするどころか、これを否定し、歪曲(修正)しようとしています。その先には、日本の軍事大国化と海外での戦争の道が続きます。

 日本を戦前に後戻りさせないために、二度と平頂山事件の悲劇を繰り返さないために、今こそ、日中両国の歴史和解が必要であることを、戦後70周年、平頂山事件から83年目の年に、改めて訴えるものです。