読書日記5 【弁護士 中西 一裕】

 年末恒例ということで、今年も「読書日記」(第5弾)を書いてみる。

 まず、わが自由法曹団員の活躍した裁判闘争を描いた本から。
○『天災か人災か? 松本雪崩裁判の真実』泉康子
 今年6月、栃木県那須町で登山訓練中に雪崩に巻き込まれて高校生8人が死亡した事故について県に損害賠償を命じる判決が言い渡されたが、実は全く同様の雪崩事故が長野県五竜遠見で1989年に発生し(被害者は研修中の新人教師)、長野県の責任を認める判決が1995年に言い渡されていた。
 担当したのは自由法曹団長野支部の中島嘉尚弁護士で、山岳には素人ながら雪崩事故の現場に何度も足を運んで調査し、証人尋問に入る前に裁判所の現場検証を実施させた。まさに現場主義の重要性を示した裁判であり、雪崩は天災で不可抗力という常識を覆した。
 本書では法廷外での署名運動の苦労と、支援者らに対する県当局や電力会社の絵に書いたような陰湿な妨害も描かれている。
 
 次に、二度目の冬を迎えるロシアのウクライナ侵攻を考えたい。
○『キーウの遠い空 戦争の中のウクライナ人』オリガ・ホメンコ
 著者は、日本とウクライナの間を行き来する研究者であり小説家である。
 本書では、戦争前後のウクライナ国民の日常生活や心情が、戦争の予感から、家への愛着、宗教生活、女性と子どもの避難、隣国ポーランドの温かい支援など多岐にわたってわかりやすく語られ、さらに1000年にわたるウクライナの歴史や地理的条件などにも触れられており、ウクライナのことをより身近に感じることができる。
 著者によると、ウクライナは1654年のロシア帝国編入以来350年にわたり「植民地」だったのであり、今回のロシアの侵略によりウクライナではかえって民族のアイデンティティーと独立精神が強まったという。

 日本と世界の混迷した政治状況を考える本を2冊。
○『歴史の逆流 時代の分水嶺を読み解く』長谷部恭男、杉田敦、加藤陽子
 憲法学、政治学、歴史学の知る人ぞ知る代表的研究者が、現代日本の政治状況からウクライナ戦争、安倍国葬問題などのホットな話題について縦横無尽に語り合う鼎談である。
 昨今の安全保障をめぐる「核共有」や「敵基地攻撃能力」の矛盾に満ちた危うさ、政治主導といいながら決定の説明をしない政治家といった問題を三者三様に鋭い視点から問題提起がされているが、「行政権力の暴走を、無関心な国民が傍観するという流れ」(杉田)をどう止めるかがやはり課題であろう。

○『差別と資本主義』トマ・ピケティ他
 本書は2022年のフランス大統領選挙前に出版された小冊子シリーズから差別と不平等に関わる4冊をまとめたもので、いわば選挙を意識したブックレットである。
 移民排斥・反イスラムの排外主義はヨーロッパ諸国の社会的分断を深め、政治状況の右傾化を強めているが、ピケティは「(フランスの)アイデンティティにこだわることは何もよい結果をもたらさない」と断じ、リベラルな普遍的差別是正策こそ重要という。

 刑事司法に関する本を2冊。
○『文藝春秋2023年11月号』角川歴彦氏の手記
 KADOKAWA前会長の角川歴彦氏による「人質司法」告発である。
 角川氏は東京五輪のスポンサー契約に関わる贈収賄事件で逮捕・起訴されたが、無罪を争ったため保釈が認められず、なんと226日間も勾留されていた。
 角川氏は80歳の高齢で心臓の手術歴と持病があり、弁護人との接見中に不整脈で意識不明になって勾留の執行停止にまで至ったにもかかわらず、保釈は認められなかった。角川氏の体調悪化を踏まえ弁護団が方針変更し、争いのない証拠を同意することにして、ようやく4回目の請求で保釈が認められたが、それでも検察は保釈に反対したという。

○『死刑すべからく廃すべし』田中伸尚
 著者には大逆事件を描いた渾身の著作もあるが、本書で取り上げられる田中一雄は大逆事件を含め200人に及ぶ死刑囚に関わった教誨師であり、そのうち120人あまりの記録を私的に書き残した。
 田中は教育刑論に立脚する矯正教育の実践者であったが、戊辰戦争の「賊軍」とされた元会津藩士であり、自らも死刑執行直前に刑の免除を受けた経験がある。死刑廃止運動との関係では、明治期においても第1回帝国議会から死刑廃止請願が出されており、刑法改正草案が提出された1907年には『監獄協会雑誌』(現在の『刑政』)が死刑反対論を特集し、田中を含む40人もの監獄職員が死刑廃止の投稿をした。
 幕末から明治の激動の時代を生きた明治人の信念と気骨を感じる。

 最後に、今年亡くなった大江健三郎氏の最新刊を挙げる。
○『親密な手紙 (岩波新書)』大江健三郎
 岩波の雑誌『図書』に2010~2013年に連載されたエッセイで、東大仏文科の恩師渡辺一夫教授をはじめ、大岡昇平、武満徹、井上ひさし、伊丹十三といった人々との交流が温かい筆致で回顧されている。
 大江さんは「九条の会」の呼びかけ人に名を連ねたほか、東日本大震災後は原発反対運動の先頭にも立っており、その思い出にも言及されている。核兵器や原発のない世界を希求し続けた大江さんのメッセージを引用する。
「次の世代がこの世界に生きうることを妨害しない、という本質的なもののモラルこそいま大切だ。」

*ちなみに、上記はいずれもAmazonに掲載したレビューを要約したものだが、かなりたまったので保存用のブログを立ち上げた(https://mtcrow2023.blogspot.com)。