読書日記4 【弁護士 中西 一裕】

 年末なので、今年も「読書日記」第4弾を書いてみる。

 やはりロシアのウクライナ侵攻を考える本を何冊か挙げたい。

〇『スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ インタビュー』(『ユリイカ』2022年7月号)
 『戦争は女の顔をしていない』の著者であり、2015年にノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの本年5月のインタビューである。彼女は父親がベラルーシ人、母親がウクライナ人であるうえ、その文学世界は旧ソ連時代の独ソ戦やアフガン戦争を多数の兵士とその家族ら聞き取りを基に構成されている。このインタビューでは、彼女も含めロシアの知識人が旧ソ連崩壊後に民主主義を根付かせる対話をしてこなかったという痛切な反省が語られている。民主主義は共産主義に打ち勝ったと思い込んでいたが、大部分の人は行動を起こさず、そして、弱肉強食の資本主義が導入されると旧ソ連時代を懐かしむようになり、そうした人々がプーチン支持層をつくっているという。
 これに対し、アレクシエーヴィチは、作家たちは傍観せずに「闘いに加わらなければなりません」と強く決意を語り、ウクライナ支援を呼びかけている。

〇『セカンドハンドの時代 「赤い国」を生きた人びと』
 上記のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがノーベル文学賞を受賞する決め手となった作品である。ソ連崩壊後の激動と混乱を生きるロシアの人々への膨大なインタビューで構成された大著であり、封印されてきた旧ソ連時代の体験談と様々な意見・感情が生々しく描かれるとともに、旧ソ連崩壊後の新時代に対する期待と幻滅が語られている。
 全体を通じて強く印象づけられるのは旧ソ連時代のあまりにも苛酷な共通体験、すなわち独ソ戦(「大祖国戦争」)と、それと前後するスターリン時代の大粛清とその後も続いた強制収容の嵐である。
 本書では、多数の人が「私たちは戦争をしていたか、戦争の準備をしていたかのどちらかだ」あるいは「戦争か流刑か」と語っている。こうした苛酷な共通体験が「非国民」を排除し、反戦思想や運動を抑圧する権威主義的体制の土壌となったというほかなかろう。

〇『緑の天幕』(リュドミラ・ウリツカヤ著)
 スターリンの死の前後から旧ソ連体制の末期までの時代を生きた人々を描く大河的小説である。
 主人公の3人の少年、ミーハ、イリヤ、サーニャは詩や音楽などの芸術分野で結びつき成長していくが、自由への愛や少年らしい正義感が旧ソ連の思想統制と衝突し、仕事を奪われ、恋愛、結婚生活まで暗い影を落としていく。強制収容所に送られる苛酷な運命やKGBの密告者に仕立て上げられる屈辱さえあった時代である。「革命後の何世代かは、年少期に恐怖を植えつけられている」という言葉は印象的だ。
 ちなみに、ウリツカヤも上記のアレクシエーヴィチも現在はロシアとベラルーシの国外に出て作家活動を続けている。

〇『ウクライナ戦争』(小泉悠著 ちくま新書)
 テレビの解説でおなじみの小泉氏だが、その経歴は外務省の専門分析員、ロシア科学アカデミーの客員研究員等々の、まさしくロシアの軍事・外交の専門家である。 しかし、そうした専門家にして、今回のロシアのウクライナ侵攻は直前まで予想できず、外交的な脅しの手段と見ていたというから、いかに非合理な決断(「プーチンの野望」)であったかがわかる。
 本書ではロシアの「特別軍事作戦」の内容、NATOの対応、ロシアの非人道的な軍事理論、プーチンの主張等が詳しく、説得的に分析されている。
 著者は、戦争の第一義的責任がロシアにあることを明確にしない停戦論では解決にならないと述べており、大国の侵略が成功したという事例を残さないよう、日本としても難民の援助や地雷除去などの非軍事的支援に取り組むべきであると指摘しているが、全く同感である。

 最後に、異色の作品を1つ。
〇『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』(ミア・カンキマキ著
 大手出版社に勤めるアラフォーのキャリア女性が自分の人生に飽きてしまい、「もうここにいたくない」という気持ちになって長期休暇を取ったのが本書誕生のきっかけである。
 それにしても、文学研究者でもなく日本語もできないのに、フィンランドから清少納言の研究のために来日するという選択を思い立った著者の行動力がすごいし、それを許容するフィンランドの長期休暇制度や助成金の支援もすごい。
 本書は著者の自分探しの長期休暇を日記風の随想で語った作品であるが、清少納言を「セイ」、紫式部を「ムラサキ」と呼び、どちらもまるで現代に生きているかのような感覚で語るところが面白い。特に、1000年前の存在ながらキャリア女性の元祖であり、今日のブロガーのようなスタイルで自己主張するセイとはどのような女性で、いったい何を考えていたのかを、著者は京都で探索するのである。平安時代の女房文学に対するジェンダー的考察には鋭い視点もある。
 このように本書は、日本古典文学に興味のある人はもちろん、京都を散策したことのある人にも興味深く読める本である。

*ちなみに、上記はいずれもAmazonに掲載したレビュー(HN:Mt.Crow)を要約して転載したものです。