読書日記3 【弁護士 中西一裕】

 年末ということで、今年読んだものから「読書日記」第3弾を書いてみる。

○『子宮頸がんワクチン問題――社会・法・科学』(メアリー・ホーランド他著)
 この本を最初に挙げたのは、私自身が子宮頸がんワクチンの被害者救済訴訟に弁護団として関わっているからである。最近、製薬企業や医療界の圧力で、日本政府は子宮頸がんワクチンの積極勧奨を再開したが、被害者救済や副反応の原因究明は全く進んでいない。
 子宮頸がんワクチンは「がんの予防に効くワクチン」をうたい文句に全世界で販売されているが、その有効性についてはヒトパピローマウイルス(HPV)による「前がん病変」の予防までで、HPV感染後数十年後に発症するという子宮頸がんの予防までは証明されていない。他方、世界各国で多数報告されたワクチン副反応の症例には極めて深刻なものや死亡例まで含まれている。
 正確な情報提供と科学的検証により、被害者救済を行うべきである。

○『ルポ 入管 ─絶望の外国人収容施設』(平野雄吾著)
 憲法は身柄拘束と刑罰に対し31条以下で適正手続と罪刑法定主義を厳格に定めている。
 ところが、行政手続として司法審査なしで身柄拘束が行われ、「懲罰」までなされることがある。かつてのハンセン病強制隔離政策はまさにその例だが、現在もなお入管行政では不法在留者を一掃するという名目で長期の身柄拘束が行われている。中には収容期間が8年にも及ぶ者までいるという。刑罰なら刑期が定められるが、入管の収容は無期限である。しかも、長期の収容で体調を悪くし、病気を訴えても医療を受けさせない。スリランカ女性ウィシュマさんの死亡事件で大きな問題となったが、本書でも目の前で苦しんでのたうち回る収容者を放置して死亡させ、裁判になったケースが紹介されている。
 本書は入管の人権無視の告発であり、渾身のルポである。ページをめくって読むのがつらくなるほどだが、多くの人が実態を知るべきである。

○『オリンピック秘史 120年の覇権と利権 』(ジュールズ・ボイコフ著)
 本書は2018年出版だが、すでにオリンピックは大きな問題を抱えて曲がり角に立たされていたことがよくわかる。
 実際、2024年の夏季オリンピックの招致レースでは、立候補したブダペスト、ボストン、ハンブルクが反対派の国民投票を求める署名運動により撤退した。2022年の冬季オリンピックでも立候補したミュンヘン、ストックホルム、クラクフ、サンモリッツとダボスが費用の高さと国民の支持の少なさ等から撤退し、消去法で北京に決定したという。
 なぜこのようにオリンピックは不人気になったのか?
 本書は近代オリンピックの歴史を、その影の面に注目して詳しく叙述している。クーベルタンの理想にもかかわらず、彼自身が持っていた貴族趣味、労働者嫌い、男女差別、人種差別等の保守的傾向がキラニン、ブランデージといった歴代のIOC貴族らに引き継がれる。さらに、ロス五輪以降はアマチュアリズムが放棄されて商業主義化し、巨大スポンサーなしでは開催できない莫大な経費がかかるイベントとなったのである。大規模な環境破壊、貧困層の強制退去、監視と警備の強化(五輪終了後も続く)なども問題である。
 これに対して地元の反対運動が起きるのは当然であり、上記の各立候補都市の撤退は反対運動の結果なのである。

○『ベルリン1919 赤い水兵』、『ベルリン1933 壁を背にして』、『ベルリン1945 はじめての春』(クラウス・コルドン著)
 岩波少年文庫に収められているが、ドイツ現代史を描く重厚な三部作である。著者は旧東ドイツ出身で西ドイツに亡命した過去を持つ。本書は、ベルリンの労働者家族を中心とした大河小説であり、ナチズムに少数ながら抵抗した人々がいたこと、特に不当に無視されている初期の共産主義者の抵抗運動に光が当てられている。 
 第1部は第一次世界大戦後のドイツ帝国の崩壊と革命の経過を、少年の目から描いた小説である。1919年のドイツ革命はドイツにおいても「忘れられた革命」なのだという。その理由は、左派のスパルタクス団を武力で弾圧し、その指導者であるカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクを惨殺した社会民主党政権の今なお触れられたくない過去であるとともに、左派の後継者である旧東ドイツの苦い経験によるものだろう。
 第2部は、ヒトラーが台頭して首相に就任する前後の1933年を描いている。主人公の一家は共産党に近い立場だが、スターリンの社会ファシズム主敵論に従い社会民主党との共同戦線を拒否する共産党指導部には批判的であり、他方、社会民主党の中にも共同戦線を求める良心的人物がいたことが描かれている。
 第3部は、敗戦前夜のベルリン空襲からソ連軍との市街戦、戦後のソ連軍支配の6ヶ月間を描いている。敗戦と占領という極限状況の下で、様々な立場の人たちの悲喜こもごもの思いと行動が描かれる。

○『「生きるに値しない命」とは誰のことか ナチス安楽死思想の原典からの考察』 (森下直貴他編著)
 1920年にドイツで出版され、ナチスが障害者抹殺政策の論拠とした安楽死推進論を全訳し、その批判的解説を試みた小著である。
 翻訳された論文は法学者と医学者が「生きるに値しない命」の類型とその否定を露骨に論じたものであり、法学者は意思主義・個人主義、医学者は治療不可能性を論拠とする。そして、瀕死の重傷や重病で確実な死に直面した者に対しては同意と自己決定による正当化がなされるが、重度精神障害者に対しては当然のごとく生きる価値がなく「社会の厄介者」であるとして生の否定が帰結される。
 この論文は何もナチス時代の過去のものではない。現代の安楽死・尊厳死法制化運動や相模原の障害者大量殺人事件の背景となる優生思想が、これ以上ないほど明瞭に語られているのである。
 この優生思想に対しどう対決するのか。著者らは、人間の活動の本質は相互的コミュニケーションにあるとし、どんなに無様でも老い抜く姿を見せること、あるいは障害で寝たきりの姿を見せることが、他者とのコミュニケーションで世代をつなぐ役割を果たすことになると論じている。