象徴天皇の代替わり 【弁護士 中西 一裕】

 周知のとおり来年2019年4月30日に現在の天皇は退位し、5月1日付けで新天皇が即位します。
 これは日本国憲法の下における2度目の天皇の代替わりです。一度目は言うまでもなく1989年の昭和天皇死去による現天皇の即位ですが、このときは私は司法修習生で、前年の昭和天皇吐血報道以後、病状悪化の生々しい推移が日々大量に報道され、皇居の桜田門に設けられた記帳所に老若男女を問わず大勢の人が記帳に訪れる光景が東京地裁の窓からよく見えたのを昨日のことのように覚えています。
 昭和天皇死去後は政府が官庁や学校に服喪を呼びかけたことにより、歌舞音曲など華美にわたる諸行事が官民ともに自粛を余儀なくされました。
 現天皇の異例とも言える生前退位の意思表明には、こうした天皇死去に関わる「大喪」関連の諸行事と新天皇即位に関わる「大礼」関連の諸行事が並行して進められることへの苦言が率直に述べられており、これは人間天皇としての一つの見識であろうと感じます。

 しかし、政府がその後進めている新天皇即位の準備は、「憲法の趣旨に沿う」としつつも、国民主権と政教分離原則との関係で問題のある前回の代替わり儀式を踏襲する方向で進められています。
 政府が本年3月30日に公表した基本方針のうち、新天皇即位関連の諸儀式は、
  剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀(5月1
日)
  即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀(10月22日)
が国事行為として行われ、このほか皇室行事として大嘗祭(だいじょうさい)等の神道祭祀が多数行われることが予定されています。
 実は、これらの諸儀式の多くは日本国憲法制定に伴い廃止された旧登極令・同附式を踏襲したものであり、「万世一系」の神権的統治者であった大日本帝国憲法の天皇のために整備された儀式なのです。
 例えば、「剣璽等承継の儀」は登極令では「剣璽渡御ノ儀」(けんじとぎょのぎ)と呼ばれたものであり、三種の神器である「剣」と「璽」(勾玉)が自らの霊力で新天皇に渡御するという宗教的意味を有する儀式です。また、「即位礼正殿の儀」は登極令では「紫宸殿ノ儀」(ししんでんのぎ)と呼ばれたものですが、この儀式で使用される高御座(たかみくら)は天照大神に由来する「皇祖の霊座」とされ、その上で天皇が即位を宣言して臣下から寿詞(よごと)と万歳三唱を受ける臣従儀礼です。三種の神器と高御座は王冠などと同じで、統治権を象徴する「レガリア」といえます。
 さらに、皇室行事として予定されている大嘗祭等はいずれも神道形式の宗教儀式であり、本来は皇室の私費である内廷費で挙行されるべきところ、前回は即位に関連する公的行事とされて公費である宮廷費が支出されました。

 いうまでもなくこれらの儀式は国民主権の下で象徴としての地位にある現憲法の天皇の即位式典には全くそぐわないものです。
 実際、前回の代替わりの後には各地で憲法訴訟が提起され、国賠訴訟で大阪高裁は政教分離原則違反の疑義を払拭できておらず国民主権にもそぐわないとの踏み込んだ判断をしています。
 天皇・皇室に関わる事柄はいわばアンタッチャブルで、タブーのように扱われがちですが、現天皇自身が「伝統」を破って生前退位をするわけであり、まして今回はまだ十分な検討の時間もあるのだから、象徴天皇制にふさわしい儀式の在り方を検討すべきであろうと思います。

(なお、このコラムは『法と民主主義』2017年2・3月号の拙稿「生前退位に伴う天皇代替わり儀式の問題点」を踏まえたものです。)