平和的な抗議の力。グローリー明日への行進を観て思うこと 【弁護士 仲里 歌織】

 先日、キング牧師を中心としたアメリカでの公民権運動を描く映画「グローリー 明日への行進」を観てきました。

 暴力での不当な排除を前に、自由・権利を求めて何度でも非暴力を手段として立ち上がる人々の姿に、心からの尊敬の念を抱きました。何度も目を覆いたくなるようなシーンがありましたが(人としてあたり前の権利を訴えたことで、命を奪われる方々が現実にはどれほど多くいたかと思うと、非常に悔しさを感じます)、それでも女性も男性も、若者も高齢の方も、力を合わせて立ち上がる姿に、自由・権利を手に入れることがどれほど困難なことだったのかと考えさせられました。

 それと同時に、主題歌の「Glory」にもあるように、まだまだ闘わなければいけない状況が続いていて、それは世界のあらゆるところで存在しているのだと感じています。キング牧師を演じたデヴィッド・オイェロウォさんは「今、我々が住んでいる世界にも非人道的なものがはびこっている。人間性の美しさ、平和的な抗議の力を思い起こさせ、我々には上げるべき声があるのだと思い起こさせてくれる映画を作るのは時代の要請だと思う」とおっしゃっていて、とても共感します。

 

 日本では、戦争法案等(戦争する国づくりに向けた教育への介入や、新たな基地建設等も含め)への反対で、今まさに多くの方が声を上げ、闘い続けています。

 映画の中で「命のための努力」という言葉が出てきたときに、先日の新聞で、瀬戸内寂聴さんがお身体が万全ではない中、ご自身の生命の危険も覚悟の上で国会前で声を上げられたという記事を思い出しました。今まさに政府が実現しようとしていることは、私たちの命に関わる問題であり、だからこそ、命をかけて声を上げられたのだと改めて思います。

 

 映画を観た後、六法を開いて、改めて憲法を読んでみました。前文には「日本国民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と書かれています。当時、どれほど多くの方が、平和のうちに生存する権利を渇望したのかと思うと(戦争を経験した祖母の話も思い出しながら)、平和的生存権が奪われるような事態に対して、闘わなければいけないのだと改めて強く思います。

 自由・権利を手に入れることは、決して容易なことではないこと、だからこそ一度手にした平和的生存権を私たちから奪ってしまう政治に対して、反対の声を上げ、闘わなければいけないのだと、この映画を観て、改めて強く感じました。

 また、映画の中で出てきた「人は一人では闘えない」という主題歌のフレーズから、心を同じくする多くの方と一緒に闘うことの大切さを思いました。

 

 今、私たちの命に関わる問題が、政府によって決められようとしています。憲法学者がこぞって「違憲」だと指摘しているのに、そして多くの方が反対の声を上げているのに、無視して決めてしまおうとしています。

 平和的な抗議の力を信じて、ぜひ一緒に声を上げ闘っていきましょう!