被災地ルポ

弁護士 加藤 芳文

☆津波の激甚地へ


 震災発生後「まずは現場を見てから」との思いが強かったが、現実には時間が取れずイライラ焦燥の日々を過ごした。
 やっと5月の連休到来。1日から3日間仙台に宿を取り駆け足ではあるが沿岸部被災地に入った。
 ちなみに小生は、17年前の阪神大震災で芦屋に住む兄が被災、4日後の1月21日現地入り、避難所に泊まりボランティアの炊き出しを受けたりした。


 漁協建物に乗り上げた船(七ヶ浜町)

 しかし、今回の被災地は原爆爆心地、ないし大空襲を思わせる惨状で桁違いであった。

 

 訪れたのは北から岩手県大船渡市、陸前高田市、宮城県気仙沼市、南三陸町、石巻市、女川町、七ヶ浜町、多賀城市、仙台市営城野区、若林区あたり。予め救援センターに届ける下着、靴下、トイペ購入を済ませ、所員から預かったマスク
とともに車に搬入、渋滞を避け5月1日深夜2時自宅出発。東北自動車道をひた走り、渋滞もなく朝6時過ぎ仙台着。


①多賀城市


 数百合の破壊された車両が空地に並べられ、何れも原形をとどめていない。気がつくと猛烈な異臭があたりを覆っておりあわててマスクをつけるも手遅れ。

 

②仙台市宮城野区蒲生、若林区荒浜付近 

 

 辺り一面見渡す限り廃墟と化し、一体どこからどこまでが街だったのか皆目見当がつかない。ふと気がつくと自分が立っているのは被災者の住居跡。高台がなく一面平地で、避難は困難を極めたと思われる(閑上大橋をわたり、名取市閑上地区に入りたかったが通行禁止で断念)。随所に自衛隊が展開「災害派遣」車両が活躍中。

 

③七ヶ浜町

 

 海岸部が軒並み津波にやられ、漁船が建物の屋根に鎮座しているほか低地は広大な廃墟と化し自衛隊員が遺体捜索をしている(高台のスーパーが開店しており、救援物資追加の野菜を購入)。


④石巻市


 三陸自動車道を走り救援センターに物資届け沿岸部へ(披災にもかかわらずメーデーをやっていると聞きびっくり)。屋上に車が引っかかる(女川町) 途中の市街地は津波に襲われたものの建物自体は建っており住民は清掃、片付けに余念がない(ボランティアもちらほら)。


 ところが海岸近くに出た瞬間光景が一変。辺り一帯焼け野原でまともな家は一軒もなく壊滅。車もすべて赤茶色に焼けこげている。真っ先に広島、長崎の爆心地の映像を想起する。広大な市街地が消失しがれきの山。鉄道も壊滅。被災者の
身内だろうか女性が焼け跡に佇んでいる。


 

⑤女川町


 3階建てビルの屋上に車が乗り、がけの擁壁途中に車が引っかかっている。海には流されてきた住宅や工場らしき建物が浮かび、中心市街地は壊滅。なぜか女川原発をめざすも立入禁止で断念。帰途、各所で地盤沈下と満潮のため道路が冠水し危うくエンスト寸前(1目2回こうなるという)。

【写真:屋上に車が引っかかる(女川町)】


 

 

⑥南三陸町

 沿岸部からでなく、三陸自動車道経由山間部より山越えで街に入る。
川を津波が遡上したらしく、海岸部に降りるにしたがってがれきが目につき始める。気仙大橋?が津波でまっ2つに断ち切られ、街は壊滅状態。


⑦気仙沼市


 激甚地の港湾近くは規制され進入禁止。やむなく建物の外形をとどめる中心市街をまわる。銀行その他商店街は無人で不気味。地盤沈下で道屋上を越えた津波(南三陸町)路は一面水浸し。赤く焼けこげた船が目につく。陸前高田に抜けようとしたが道路は封鎖、大渋滞。やむなく山関節を迂回し仙台に戻る。

 

 

⑧陸前高田市  ※写真:陸前高田駅前跡


 東北自動車道を一関でおり今泉街道を東進、山越えをして海岸節に近づく。川を遡上した津波の痕跡が左右の住宅の破壊とがれきの山となって出現。住民が片病院前には泥だらけのカルテや画像写真が山積み。

思わず合掌。陸前高田駅跡か、線路やホームらしき痕跡がある。

ヘリが低空飛行し捜索中。5階建マンションは4階まで変色。津波が4階まで到達したのだ。温か彼方に名勝高田松原の残った一本が見える。

 

⑨大船渡市
      

 国道はどうにか無事。海岸沿いの低地は軒並み津波に襲われ壊滅。津波がここまで来た、あそこの路地で止まったとはっきり最後の到達点が刻されているのが恐ろしい。


 信号は各所で止まったままだし、あわや交通事故という場面にも遭遇したが、無事仙台のホテルに帰投、仮眠を取る。被災地の復興のため自分は何をなすべきか、これからだと肝に銘じつつ帰途につく。

深夜の高速はがらがら、自衛隊の災害派遣車両が行き交う中、自宅に午前4時到着

 

 ☆大津波から身をまもるために・・

 

  

 ①津波はいつくるか


 報道によれば、場所により地震発生後早くて5分後に津波が到達したが、だいたい30分前後に大津波が押し寄せた

(ただし、1時間後にいきなりというところもある)

間隔も第二波から1時間後に第三波と言うところがある

(しかも第三波が一番大きかった。)


 したがって、命が借しければ地震発生後ただちに家族を捨ておいても高いところに逃げ、数時間は寒くても家に物取りに戻らないことが鉄則(山下文男「津波てんでんこ」、日本海中部沖地震の教訓)

 

②いつまで避難が必要か


 釜石では地震動から5分後を第一波とし、午後9時まで計7波が襲っている。

 したがって、大津波警報の解除までないし、6時間は避難を継続する必要がある (戻って流された人がいる)
 

③どこへ逃げるか


 仙台平野では海岸線から5.5㌔(海抜5メートル)まで到達している。よって、低地であれば何キロ先でも襲ってくるから距離は意味がなく、高台に逃げなければ危ない。各種情報を整理すると、ビルなら5、6階以上、高台なら20ないし30㍍以上でないと危険。(大船渡で23鎧、女川町で18似:、南三陸町で15.5鎧の津波襲来)
 (遡上高について)
 津波は海が見えない山間部まで、高速ではい上がり住宅を破壊している(現時点で宮古市の38.9㍍が最高)

河川が津波の格好の流路となったのだ。よって、海から速くても河川に近い土地は要注意(石巻市大川小学校の悲劇)
 

④地震、津波教育の重要性


 歴史上天津波は繰り返されているのに、なぜ被害を繰り返すのか? それは、人間と地震、津波の時間メモリーが違うから(30年も経てば風化してしまう。)

したがって、小中学校の教科書に掲載し、毎年避難訓練を怠らないなどハードよりもソフト面が肝要。

 

////被災者救援、東電と国の責任追及の活動ヘ///
 

 

こうしてマグニチュード9.0の超巨大地震にせっかく眠っていたのを揺り起こされた小生だが、あれこれ考える前に足を踏み出そうと思い、6月5日福島飯坂温泉、6月19日会津若松、7月4日白河、7月24日いわき市で日帰りの無料相談会に参加した(東京、埼玉、千葉等から弁護士10数名が結集)。

何れも沿岸部からの避難者、旅館経営者等多数が相談に訪れ悲惨な体験をたくさん聞かせていただいた。
 

 いまは、被災者とりわけ福島の方々のために東電と国の責任を追及し適切な損害賠償をさせるため弁護団の末席を汚している。はたしてどこまで若い方たちについて行けるか自信はないが、一兵卒として頑張りたい。


 読者の皆さんも、まだの方は足を踏み出してボランティア活動に参加してみてはいかが?

きっと充実した貴重な体験ができるはず