原水爆禁止2009世界大会in長崎 に参加して

2009/8/31 事務局F
 

熱気ある歴史的な大会に参加

 

原水爆禁止2009世界大会 今回の原水禁世界大会に参加するにあたり、諸先輩方や、地域の方々から「歴史的な大会になるはずだからしっかり勉強してくるように」と言われて参加した。なぜ「歴史的な大会」になると言われたのかは分かっている。4月にチェコ共和国・プラハでアメリカのバラク・オバマ大統領が行った演説によるものであると。この中でオバマ大統領は核の廃絶・不拡散を忍耐と粘り強さをもって行っていくと発言した。


 昨年の広島での原水禁にも参加しているので分かるが、明らかに今年の原水禁は昨年に比べて熱気を帯びていたように感じる。それは、オバマ大統領の発言の影響は少なからずあったと思う。そのような大会に今年も参加できてうれしく感じている。

 

現地で、肌で感じた原爆の悲惨さ

 

 写真や映画、祖父母の話などで戦争がどのようなものだったのかはある程度想像はしているつもりだった。しかし、どれも冷房のきいた文化施設や映画館、お酒の席などでありイメージを膨らませられるような環境では無かったと感じた。なぜなら、現地に行って、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じて初めて考えさせられることが数多くあったからだ。
 8月の長崎は陽射しが強く立っているだけでもじわりと汗をかいてしまうほどの蒸し暑さだった。思わず、64年前の8月9日もこのくらい暑かったのかと考えてしまった。
 平和公園を含めて長崎市内は被爆した都市とは思えないほどに発展していて、当時の面影を残すものは、一見したところでは判別できないほどだった。ただ、やはり町内会や、遺族の方々の力で町中の公園等いたるところに慰霊碑が立てられていて、原爆の被害にあった方々を偲び、また原爆の爪あとを風化させない強い意志を感じた。
 資料館にも外国人を含め多くの人たちが訪れ、原爆の悲惨さと爪あと、核兵器の廃絶へのメッセージがこめられているように思えた。高齢化により被爆者の方々のお話を伺える機会が少なくなっている今、私を含めて若い人間が後世に原爆の悲惨さや残忍さを伝えられるようにならなくてはいけないと強く感じている。

 

核廃絶を実践するために、被爆国の国民としてできること

 

核廃絶 唯一の被爆国として、現在でも2万発を越える核兵器が存在する現実をとらえ、核廃絶の為に出来る事を考え、実践していかなければなれないと思う。核により与えられた不安を取り除く為に、また失われた安全を取り戻す為に、9条の会などを通じて努力していきたいと考えている。「核廃絶を実践する」という、オバマ大統領の発言を実践する為に私達1人1人が行動していく必要がある。

 

 

 

 

 

高校生が発言していたが、「1人の力は微力だが、無力ではない」のである。


 最後になったが、大会の開会総会で原爆症認定訴訟東京弁護団が壇上に上がり報告していたが、まだ全ての被爆者の方々が救済されているわけではない。1日でも早く救済されるように願ってやまない。